桜のピークは過ぎてしまったが、たくさんの人が花見を楽しんでいた。
3月31日、下野市の天平の丘公園で開催されている「天平の花まつり」に、桜の花を撮りに行ってきました。
快晴の暖かな好天気となり、土曜日ということもあり、公園には家族連れやカップル、若者グループなどたくさんの人で賑わっていました。
淡墨桜(ウスズミザクラ)などは、ピークを過ぎ、散りはじめの段階にきていましたが、それでもまだ十分に楽しむことができました。
これからは、遅咲きの八重桜が花を開かせ、私達の目を楽しませてくれることと思います。
このブログを書いている今はもうすでに4月末、八重桜も終わてしまったことと思われます。
今年は桜に限らず、春の花の開花が早く、限られた休日の中で、あちらこちらと花の撮影行で忙しく、なかなかブログの記事をまとめることができず、1ヵ月立っての投稿になってしまいました。
シートを広げ花見を楽しむ人たち。
西行桜(枝垂桜)
西行桜の隣にある安行寒桜
寒桜の中で佇むスズメくん
こちらはヒバリでしょうか
ハナニラでしょうか
シャガの花も咲いていました。
淡墨桜の前にはたくさんの人が集まっていました。
JR東日本「大人の休日俱楽部」のCM撮影で、吉永小百合さんが「淡墨桜」の前で撮影した時の、巨大なポスターが展示されていて、その前には入れ替わり立ち代わり、次々と人が集まってきました。
この日は、淡墨桜もピークを過ぎ、ポスターのような美しい姿を見ることはできませんでした。
下野国分尼寺跡
石割桜の「霜子(妹)」
石割桜の「雪子(姉)」
モモの花
ユキヤナギは真盛り、小さな白い花をたくさんつけていました。
コブシの花は、色もくすみ、花びらは散り始めて終焉を迎えていた。
<栃木県下野市のホームページから引用>
下野国分尼寺跡(国指定史跡)
下野国分尼寺跡は、下野国分寺跡の東方約600mのところにあり、国分寺と同じく聖武天皇の詔によって建てられた国立の寺院です。
伽藍(寺の建物)配置も、国分寺と同様に東大寺式ですが、塔はつくられませんでした。
昭和39年度から43年度にかけての発掘調査の結果、建物の規模は、金堂が間口7間(21m)×奥行き4間(12.1m)で、凝灰岩の礎石をもつ瓦葺きの建物であることがわかりました。
また、講堂の北側には尼たちが日常生活を営む尼房という建物も見つかっています。さらに、平成5年度から10年度にかけて、寺院の範囲を確認するための発掘調査が実施され、その結果、全体の規模は南北約270m、東西約145mで、その東側に南北約211m、東西約52mの張り出し部分があることがわかりました。
現在、下野国分尼寺跡は、主要伽藍の基壇と礎石が復元表示され、史跡公園として人々の憩いの場として活用されています。
下野国分寺跡