サブやんの気ままなPHOTOライフ

山や川などの大自然、野鳥や昆虫などの動物、花などを撮るのが大好き。そんな被写体を気ままに撮っています。

下野市天平の丘公園に桜を撮りに行ってきました。

桜のピークは過ぎてしまったが、たくさんの人が花見を楽しんでいた。

3月31日、下野市天平の丘公園で開催されている「天平花まつり」に、桜の花を撮りに行ってきました。

快晴の暖かな好天気となり、土曜日ということもあり、公園には家族連れやカップル、若者グループなどたくさんの人で賑わっていました。

淡墨桜(ウスズミザクラ)などは、ピークを過ぎ、散りはじめの段階にきていましたが、それでもまだ十分に楽しむことができました。

これからは、遅咲きの八重桜が花を開かせ、私達の目を楽しませてくれることと思います。

このブログを書いている今はもうすでに4月末、八重桜も終わてしまったことと思われます。

今年は桜に限らず、春の花の開花が早く、限られた休日の中で、あちらこちらと花の撮影行で忙しく、なかなかブログの記事をまとめることができず、1ヵ月立っての投稿になってしまいました。

 シートを広げ花見を楽しむ人たち。

f:id:sabuyan1953:20180428171645j:plain

西行桜(枝垂桜)

f:id:sabuyan1953:20180428165522j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428165548j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428165611j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428165642j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428165711j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428165729j:plain

西行桜の隣にある安行寒桜

f:id:sabuyan1953:20180428165750j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428165812j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428165832j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428165855j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428165921j:plain

寒桜の中で佇むスズメくん

f:id:sabuyan1953:20180428165944j:plain

こちらはヒバリでしょうか

f:id:sabuyan1953:20180428170004j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170025j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170044j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170105j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170129j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170301j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170323j:plain

ハナニラでしょうか

f:id:sabuyan1953:20180428170341j:plain

シャガの花も咲いていました。

f:id:sabuyan1953:20180428170401j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170431j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170447j:plain

淡墨桜の前にはたくさんの人が集まっていました。

f:id:sabuyan1953:20180428170534j:plain

JR東日本「大人の休日俱楽部」のCM撮影で、吉永小百合さんが「淡墨桜」の前で撮影した時の、巨大なポスターが展示されていて、その前には入れ替わり立ち代わり、次々と人が集まってきました。
この日は、淡墨桜もピークを過ぎ、ポスターのような美しい姿を見ることはできませんでした。

f:id:sabuyan1953:20180428170554j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170617j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170651j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170713j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170727j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170858j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170919j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428170941j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171039j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171055j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171124j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171149j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171221j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171241j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171303j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171331j:plain

下野国分尼寺跡

f:id:sabuyan1953:20180428171348j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171403j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171430j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171450j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171505j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171521j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171535j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171551j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171605j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171720j:plain

石割桜の「霜子(妹)」

f:id:sabuyan1953:20180428171741j:plain

石割桜の「雪子(姉)」

f:id:sabuyan1953:20180428171801j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171823j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171837j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171853j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428171909j:plain

モモの花

f:id:sabuyan1953:20180428171925j:plain

ユキヤナギは真盛り、小さな白い花をたくさんつけていました。

f:id:sabuyan1953:20180428171939j:plain

コブシの花は、色もくすみ、花びらは散り始めて終焉を迎えていた。

f:id:sabuyan1953:20180428171957j:plain

f:id:sabuyan1953:20180428172015j:plain

 <栃木県下野市のホームページから引用>

下野国分尼寺跡(国指定史跡)

尼寺跡空撮(南上空から)写真

  下野国分尼寺跡は、下野国分寺跡の東方約600mのところにあり、国分寺と同じく聖武天皇の詔によって建てられた国立の寺院です。
  伽藍(寺の建物)配置も、国分寺と同様に東大寺式ですが、塔はつくられませんでした。
  昭和39年度から43年度にかけての発掘調査の結果、建物の規模は、金堂が間口7間(21m)×奥行き4間(12.1m)で、凝灰岩の礎石をもつ瓦葺きの建物であることがわかりました。
国分尼寺跡の桜の写真  また、講堂の北側には尼たちが日常生活を営む尼房という建物も見つかっています。さらに、平成5年度から10年度にかけて、寺院の範囲を確認するための発掘調査が実施され、その結果、全体の規模は南北約270m、東西約145mで、その東側に南北約211m、東西約52mの張り出し部分があることがわかりました。

  現在、下野国分尼寺跡は、主要伽藍の基壇と礎石が復元表示され、史跡公園として人々の憩いの場として活用されています。

 

下野国分寺跡

国分寺跡塔跡礎石の写真

  下野国分寺跡は、奈良時代天平13年(741年)、聖武天皇の詔によって全国60数か所に建てられた国立の寺院のひとつです。
  伽藍(寺の建物)配置は、全国の総国分寺である奈良の東大寺と同じ形式(東大寺式)で、南北一直線上に南から、南大門、中門、金堂、講堂が並び、中門と金堂は回廊によってつながれています。
  塔は回廊の外側東方に置かれ、基壇の規模から七重塔であったと推定されています。
  また、金堂・講堂を挟んで東西には鐘楼、経蔵が置かれています。
国分寺鳥瞰図

  これまでの発掘調査から、寺院地の規模が東西413m、南北457mになることや、南大門、塔の規模などが明らかになっています。
  また、堀や溝の作り替えから、伽藍地とその外側を区別する寺院地の範囲や変遷がほぼ明らかにされ、1~5期に時期区分されています。
  1期(8世紀中葉)は塔・金堂などの創建期、2期(8世紀後半~9世紀前半代)は主要堂塔が完成し伽藍地を掘立柱塀で囲む時期、3期(9世紀後半代)は伽藍地を縮小して掘立柱塀を築地塀に建て替え、寺院全体を大きく改修する時期、4期(10世紀以降)は主要堂塔の補修や溝の掘り直しを行わなくなる衰退期と考えられます。
  下野国分寺の終焉は明確になっていませんが、遺構・遺物からみると、11世紀ないし12世紀代まで法灯が続いていたと推測されます。