サブやんの気ままなPHOTOライフ

山や川などの大自然、野鳥や昆虫などの動物、花などを撮るのが大好き。そんな被写体を気ままに撮っています。

右膝半月板損傷の手術で約2週間の入院生活を!!

皆さんこんばんは約半月ぶりの投稿です。

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5月17日から右膝半月板のケガの手術のため、大学病院の医療センターで約2週間の入院生活を送ってきました。

私が今回の手術で体験したこと、手術でわが身に発生した症状や処置など入院期間中の生活などを日記的に記録した投稿になります。これから私と同じようなケガで手術することとなる方の少しでも参考になればと思います。

専門的な知識はないので、内容は手術で不安を抱いている方が少しでも不安解消になればという程度のものなので、興味のない方はスルーしてください。

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ケガは右膝内側半月板の断裂です。

半月板の断裂が判明したのは2月末です。

ウォーキングをしていて右膝の内側が痛み出しました。

すぐに治まると思っていましたが、治まるどころか”ズキズキ“と痛み、夜寝ることもできませんでした。

かかり付けの整形外科病院に行き診察、まずはレントゲン撮影しましたが異常は認められず、激しく“ズキズキ“痛むことから再度MRIで検査をすることに、この日はMRIが空いていたのですぐにMRIに回され右膝の画像撮影を行いました。

MRIの画像で診断したところ、そこには素人目でもはっきりと分かる半月板の異常が写し出されていました。

ドクターの診断は「半月板内側の断裂」と。

外側の半月板は形がしっかりと残っているけど、半月板の内側は押しつぶされたようにグニャーとなっていました。

そしてこのケガの処置を治療をどのようにしていくか色々説明を受け、ドクターの判断は手術は行わずこのまま温存しリハビリで改善をしていこう」ということに。

そして1週間後に再度ドクターの診察があり、その時に先生に「手術をお願いします」というと、「え~、もったいないよリハビリで」といってきましたが、この1週間でネットで半月板断裂のことについて調べたり、これまでの経過から考え痛みが治まったとしてもまた再発する恐れがあり、この爆弾を抱えたままでは趣味のマラソンやトレイルラン、ウォーキング、写真撮影をしながらの山歩きもできないので、いつ爆発するかわからない爆弾を早く取り除きたいことを告げると、「わかった」といって大学病院の膝の手術が得意という整形外科のドクターを紹介してくれました(個人病院で手術の設備はないので)。

そして5月18日に大学病院の医療センターで右半月板の手術をすることになりました。

なぜ私が手術を決断するに至ったのか。

それは、右膝の内側が痛み出してから1年ほど診察とリハビリを続けていますが、一向に回復しない、痛みが治まってきたので軽い運動を始めるとまた痛み出す、リハビリの結果よくなるそして運動を始めるまた痛み出す、診察でレントゲン撮影をしても異常は見られない、こんなことを何度も繰り返していました。

今年に入って2月から週2、3回程度の軽いウォーキングを始めました。

そして今度はもう大丈夫と思っていた矢先、月末になってウォーキングをしていたところ、もうすぐ家に着くという頃になって突然また膝の内側に痛みが出てきました。

すぐに治まると思っていましたが、治まるどころか痛みは強くなり、夜も眠れないほど痛みが。

普段の生活や仕事でも歩くたびに膝に激痛が走り、坂道や階段の上り下り(特に下り)の時は1歩踏み出すたびにさらに激痛が走りまともに歩けなくなりました。

そんな苦痛が1か月ほど続き、その後痛みも治まり「手術しなくてもいいんじゃない」という気持ちもありましたが、やはりこの爆弾を早く取り除きたい気持ちの方が強く入院日を迎えました。

ここ3,4年腰の痛みや足のケガで走れていません。

ラソン大会にエントリーしても結局当日走れずDNS(棄権)を繰り返しています。

また元のように趣味を楽しみたい一心で手術に踏み切りました。

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これが、私が現在かかり付けの整形外科で受けている診断とリハビリテーションの計画書で、月1回先生が診察をして理学療法士さんがリハビリ計画を立てます。

左足底筋膜炎腰部脊柱管狭窄症の痛みは治まっていますが、頚椎椎間板ヘルニアによる右腕の痺れと一部神経の麻痺により右腕が上がり難くなっているため、そのリハビリを今も行っています。

3月30日にかかり付けの整形外科病院の先生から渡された紹介状とMRI画像のデーターがおさめられたDVDを持って、大学病院の医療センターの紹介されたドクター(名前を出していいかどうかわからないのでY先生としておきます)の診察を受けました。

ドクターはMRI画像を見てすぐに膝の掃除をしましょと言って、手術の方法など色々説明してくれました。

4月20日に手術をする予定を入れてくれたのですが、私の勤務の都合上一度上司に相談してからということになり、「4月6日に予約なしできてもよいから」と言われ、上司と相談して返事をすることになりました。

Y先生は、毎月第1、第3、第5月曜日にしか医療センターに来ないので、しかも予約をしないと診察をしてもらえないそうです。

だからと言って堅物の難しい先生ではなく、いつもニコニコし診察や質問などの対応にあたってくれる、スポーツマンタイプのがっしりした体格の優しい先生です。

私の同僚の仲のいい看護師さんも半月板の手術で、この先生の執刀を受けていて良い先生だと話していました。

手術の技術にも優れ評判はいいようです。

私は病院に看護補助として勤務しています。

4月の勤務計画はすでに決まっているので勤務変更も含め師長に相談、4月20日の入院・手術に伴う勤務変更(早番)は交代要員もいないので無理、5月の勤務計画はこれから作るので5月に入院・手術を行い、リハビリと療養で6月末まで休むことで師長と調整しました。

そして4月6日に予約なしで受診し先生と手術日を相談し、先生が勤務日となる第3週の5月18日に行うことになりました。

第1の週5月4日はゴールデンウィークで休みとなるので。

新型コロナウイルスによる影響で、もしかしたら手術ができなくなるかもしれないという不安がありましたが。

第3週の4月20日に妻を伴い診察を受けました。

4月6日に、次は家族も一緒にきてくださいと言われていたので。

そこで妻と一緒にMRI画像を見ながら、ケガの状態や手術の方法などの詳し説明を受け、5月17日(日曜)に入院し翌日の18日(月曜)に手術執刀を行うことの説明を受け、入院手続き(事前説明)をして帰宅しました。

手術の方法は、縫合するのか切除して取り除くの蓋を開けてみないとわからないということでした。

仕事に復帰できるのは縫合した場合は、入院期間とリハビリの期間を含め3か月程度の療養が必要、切除し掃除をしても1か月半から2か月の療養が必要だとのことでした。

手術後は松葉杖が必要となり、デスクワークの仕事なら松葉杖を突きながらでも仕事はできるが、私のように介護の仕事では無理と。

私もそう思う。

介護が必要な身で人の介護はできない。

車の運転もしばらくはできないとも。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が続くなか、5月17日入院の準備をして午前10時過ぎ病院の入院受付で手続きを済ませ病棟に上がり入院生活が始まりました。

 

5月17日(日曜):入院にあたっての諸注意事項の説明、書類の記入や手術について、入院期間などの悦明。翌日の手術に備えてシャワー入浴を。

 

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5月18日(月曜):いよいよ手術、午前9時過ぎ看護師に付き添わ付き添われ歩いて手術室へ。手術室に向かっている間にやけに胸がどきどき、以前に手術入院した時はそんなことはなかったのだが、なぜか胸騒ぎがする。
手術室で麻酔科の先生から麻酔の説明を受け手術台へ。
マスクをつけられるとアッという間に眠りに落ちていた。
起こされた時にはすでには手術は終わり、意識もうろうとした中ベッドに横たわったまま病室に運ばれていました。
病室では担当看護師さんが色々話しかけてくるが意識はもうろうとしたまま。
起こされた直後から尿意をもよおしていたので、看護師さんに尿瓶をあててもらうが全く出てこない。

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午後(?何時ころ)ようやく意識がハッキリとしてきて担当看護師さんの顔もハッキリ見えてくる(翌日にわかったのだが私の末娘の仲のいい友達だった)。

身体には酸素マスク、点滴、胸には心拍を見る器材、左足には血液の流れをよくする器材が装着され、手術した右膝にはチュブがつけられ、それについている袋には血がたまり、その膝には動かないように包帯でがっちりと固定され曲げることもできず、それらで自由に身動きができない。

相変わらず尿意はあるが出てこない。

手術を行ったY先生が夕方になり、午後の外来診察を終わり帰宅する前に病室を訪ねてきてくれました。

あのニコニコした笑顔で、「半月板はパサパサになっていて縫合はできないので後ろの部分を切除して掃除をした」と手術の内容を教えてくれました。

半月板の一部がなくなったことで心配なので「なくても大丈夫なんですか」と尋ねると、「大丈夫じゃないよ。筋肉を鍛えて強化すれば大丈夫だから。プロのスポーツ選手もそうしているんだよ。これからリハビリで筋肉を強化していこう」と言って安心させてくれました。

そして2週間後にまた来てと言い残し笑顔で帰っていきました。

ほんと素敵な先生です。

この先生なら何回手術をお願いしても安心できると思いました。

この日初めての食事(夕食)、おなかはグウグウなってはいるのだが食欲はなく食べられず残しました。

尿意が我慢できなくなり、夜勤の担当看護師さんにトイレに連れて行ってくださいとお願いをしてベッドから車椅子に移動しようとしたときに転倒してしまった。

車椅子に移動するため、左足で立ちあがり右足に体重移行した瞬間に、痛いとかなんの前触れもなくいきなりスッコンとベッドの脇に倒れこんでしまった。

まるで右足がないみたいだ。

見えているのは幻の足⁉ という感じでした。

看護師さんも私も「何が起こったの」と唖然とするだけ。

トイレから戻り看護師さんが右足を見て「あれッ これどうしたの」と、私は何のことと思い右足を覗き込むと脛に大きく擦り傷ができ腫れていました。

手術前まではなかったので、多分転倒したときに車椅子か何かにあたってできたものと思われるが、当の本人は全く痛みもかゆみもなし。

大きく腫れあがっているのに。

麻酔の影響かな。

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この写真は、膝の固定と傷の保護をしていた包帯がとれた後に撮影しました。

脛の黒い点は、看護師さんが負傷部位に印をつけたものです。

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こんな資料を入院当日に受け取っていましたが、それが現実のものとなりました。

自分ではたとえ痛みがあっても一人で歩けると思っていたので、この転倒という現実に大変ショックでした。

この後からは、トイレなど移動するときは看護師さんや補助者のかたの付き添いのもと行うことになりました。


この日の一番辛かったことは排尿困難になったことです。

尿意をもよおして何度もトイレに連れて行ってもらうが、膀胱が痛いだけでいくら頑張っても尿は出ず。

チョロともれる感はあるが、尿道口にきっちりと栓がされている感じで、全く尿が出てこない。

短い時間で何度もトイレに立つのもつらいので、いつ出てもいいように看護師さんに頼んでオムツをしてもらいました。状況は改善することなく消灯になりどれくらいたっただろうか下腹部の膀胱に破裂しそうな激しい痛みが襲ってきて治まらず、ナースコールをして看護師さんにそのことを伝えると、すぐに当直の先生に連絡をしてきてもらい導尿を行いました。

なんと尿瓶が一杯になる600㎖(通常100~200㎖)も出てきて、看護師さんが「ほら出たよ」と見せてくれました。

尿が出てくるにしたがって膀胱がスーと楽になっていきました。

この導尿をしてる間に左足が”ガタガタ”とやたらと激しく震えだしました。先生の補助をしていた看護師さんがビックリして「どうしたのなんで震えているの。寒いの」と聞いてきましたが、寒くはないしなんで震えているのか自分でも分からず、左足のコントロールが効かない。

導入が終わり何が起こっているのか分からない状態を心配しながら、看護師さんはナースセンターに引き上げていきましたが、その後もしばらく続きようやく震えが止まりました。

そして深夜(早朝⁉)に2度目の膀胱の痛みが襲ってきました。

この時は痛みもそれほど激しくなく、当直の先生も忙しいのかなかなか来ませんでした。この病院では看護師さんは導尿はできず、ドクターでないとできないそうです。
私が勤める病院では看護師さんもやっていますが。

手術室に向かう時に妙に胸騒ぎしたのはこれらの出来事を予言していたのか。

5月19日(火曜)食事もようやくとれるようになり、排尿も少し出にくい感じはあるものの自力で出せるようになってきました。

当直の先生が泌尿器科に連絡をしてくれて、泌尿器科の先生が診てくれることになりました。午前中に呼び出しがあり、レントゲン撮影と排尿を済ませてから泌尿器科へ。

腎臓と膀胱をエコー検査したところまだ残尿があると。

過去の泌尿器系の病歴も聞かれ、手術前から尿が出にくい症状があったこと、過去に2回尿管結石、1回腎臓結石で入院していることを告げると背中を見て納得した様子で、「また石ができ始まっている」と告げられました。そして自己導尿をすることを勧められ、自分ですることの怖さに悩んでいると「薬が効いてきて尿が出やすくなるから」、「カテーテルを装着したままにすると感染のリスクも高くなる」、「看護師を呼ばなくても自分でできるし、最初は看護師さんがそばについてやるから大丈夫、練習してみよう」と言われ自己導尿をすることになりました。

 

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看護師さんが2種類の導尿用カテーテルを持ってきてやり方を説明し、どちらでやるかと聞かれるが、そんなことやったことがないので、どちらが使い勝手が良いか分からず悩んでいると、「こちらは最初からゼリーがついていてやりやすいからこれにしよう」と決めてくれ、当面必要な10本を出してくれました。

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これを持って病棟に帰り、診察に付き添ってくれた看護補助の方が担当看護師に説明してくれ、6時、14時、21時の1日3回看護師付き添いの元自己導尿して残尿チェックをすることになりました。

午後15時、リハビリ担当の理学療法士さんが病室に迎えに来てくれ、車椅子でリハビリステーションに行きリハビリが始まりました。

今日は膝の状態を確認するのと、軽い運動と松葉杖の使い方の練習をして終了、帰りは車椅子ではなく松葉杖で病室に戻りました。

病室に戻ると看護師さんが「あれもう松葉杖になったの」と驚いていました。

5月20日(水曜):教授の回診日。午前と午後の2回リハビリ。排尿もスムーズになってきた。

5月21日(木曜):いつものリハビリ。松葉杖も理学療法士さんが私の歩く様子を見て片方だけで大丈夫だと言って左だけの1本に。家内に着替えなどを持ってきてもらう(コロナで面会禁止期間になっているので看護師を通じてのやり取り)。医事課の担当者が「限度額適用認定証申請書」を持って病室を訪れ説明を受ける。入院した時から2週間の入院で医療費がどれくらいかかるのか気なり聞いていたので。2週間で概算20万円だそうです。とてもじゃないけど大きな負担になります。以前腎結石で入院した時には入院手続の時に説明があったので「限度額適用認定証」のことは知っていたのですが、今回は入院手続きをするときにも何の説明もなかったので気になっていました。

「限度額適用認定証」とは、長期入院や治療でひと月当たりの医療費の自己負担額が高額になった場合、申請することにより自己負担限度額を超えて支払った医療費の給付を受けられるものです。

申請から交付されるまで1週間ほどかかります。

自己申請なので、入院などで高額医療費がかかることが予想され場合は、事前に申請して交付を受けてから入院した方が良いと思います。

入院してからでは自分で申請手続きをしたりと身動きできません。

病院の方から申請してくださいと言われるわけではなく、あくまでもこういう制度がありますよとの説明だけなので。

私はこの制度があるのを知りながら、病院側をあてにして事前申請することなく入院してしまったため、この日病院側から説明され慌てての申請になり、退院日に「限度額適用認定証」が届きませんでした。

退院時に会計で申請中であること、まだ交付(届いていない)されていないことを伝え、支払誓約書を記入して交付されたら支払ことを約束して退院しました。

金銭的に余裕のある方は、全額自己負担しても後日申請することにより戻ってきますが、余裕のない方は事前に申請して交付を受けておいた方が良いでしょう。

申請先は、全国健康保険協会の各支部になります。

詳しいことは、下記の「全国健康保険協会」のホームページを参考にしてください。

 

www.kyoukaikenpo.or.jp

 

ちなみに今回の手術入院(5月17日~5月28日)にかかった医療費は19万9千円でした。

限度額適用認定証を提示して支払った額は自己負担額の73,675円です。

5月22日(金曜):昨日記入した「限度額適用認定証申請書」を全国健康保険協会栃木支部に提出(郵送)するため、午前中に家内に取りに来てもらい速達で郵送してもらいましたが、結局申請手続きをするのが遅く土・日を挟んだため速達の意味がなかった。

 「限度額適用認定証」が送られてきたのは、退院した日の(28日)夕方になってからでした。いつものリハビリを。普通に問題なく歩けるので理学療法士さんが「松葉杖はいいらないね」と言って松葉杖を回収。リハビリが終わった後「もういつ退院してもいいよ」と。毎朝回診に来る主治医の先生も「帰りたくなったらいつでもいいよ」と回診のたびに仰っていたのでやっと帰れると。25日(月曜)に泌尿器科の診察(私の勘違い)があるので翌日26日に退院しよと思い迎えにこれるか家内に連絡。

 

5月23日(土曜):最後のリハビリ

5月24日(日曜):何もなし1日中ベッドで過ごす。入院生活が苦痛となってくる。

5月25日(月曜)泌尿器科のレントゲン撮影。残尿10㎖程度と少なくなってきた。

5月26日(火曜)泌尿器科の診察。残尿は数ミリ程度で許容範囲なので問題なしと。自己導尿による残尿チェックは終了。検査結果資料を渡される。自己導尿用カテーテルが17本余っているが、「お守りに持って帰って。また同じようなことが起こる可能性があるから」と。そして1か月後の6月23日に診察の予約

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5月27日(水曜):教授回診。何もなく退院を待つ退屈な1日。明日の退院に備えて荷物の整理。消灯前にシャワー入浴して身体の汚れを落とす。

5月28日(木曜):まちに待った退院の日。10時に家内が迎えに来る。荷物を持ち病棟の看護師さん達にお礼の挨拶をして1階に下り会計で清算の手続きを。この時点で「限度額適用認定証が届いていなかったので支払誓約書を記入して退院し家へと向かう。

約2週間ぶりの外の空気、前日までの梅雨のような天気が、私の退院を祝うかのように爽やかに晴れ渡っていました。

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あ~ 外の空気はおいしい~。

それにしても病院の食事は、質素で薄味美味しくない。

味噌汁も大好きで飲みたかったけども2回しか出なかった。しかも超薄味で美味しいとは言えない。

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家に帰ると入院生活の疲れか何もする気力がなくなってしまった。

夕方になり「限度額適用認定証」が送(郵送)られてきた。

翌日29日に病院に行き支払いを完了しました。

筋力アップのため軽めのゆっくりとしたウォーキングを始めました。

そして今日6月1日は先生の診察がはいいていたので行ってきました。

そこで先生から3ヶ月間スポーツは禁止と告げられました。

まずは筋力をつけるため筋力トレーニングをメインに行うよう指導されました。

次回の診察は1ヶ月後の7月6日(月曜)です。 

仕事は療養のため今月いっぱい休み7月から出勤するよう先生が診断書を書いてくれました。

早く走りたい。

9月からはスポーツが解禁になるので、それまでにしっかりとリハビリと筋トレを続けていこうと思います。

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<追記> 

手術が終わった翌日からの定期的な検温で37.5℃、37.6℃という発熱があり、私の頭には「まさか コロナ!?」ということが浮かびあがりました。

その後の毎日の検温でも36.8℃とかいつもより(36.2℃前後)高い体温が続きました。でも看護師さんの話によると、手術したあととか入院したことにより体温が上がる人も結構いるそうです。

新型コロナウイルスでなくてよかった!!