サブやんの気ままなPHOTOライフ

山や川などの大自然、野鳥や昆虫などの動物、花などを撮るのが大好き。そんな被写体を気ままに撮っています。

ハンターマウンテンスキー場へ紅葉を撮りに行く

10月22日、那須塩原のハンターマウンテンスキー場に紅葉の写真を撮りに行ってきました。ハンターマウンテンに紅葉の写真を撮りに来たのは初めてです。

ゴンドラから眺める紅葉が素敵ですが、山頂の方はすでに見ごろを過ぎ落葉してしまい、中腹の針葉樹が黄色に染まり黄葉しています。

この日は日中の気温も低く、山頂では風も強く吹き飛ばされそうになり、冷たい風に手は凍えてきて手袋を持参しなかったことに後悔しました。

山頂はすでに冬です。

薄手のジャンバーを着ていったのですが、厚手のダウンコートの方がよかったとつくづく思う。

 

ゴンドラの乗車券は往復のみ

2階のゴンドラ乗り場

本日のハンターマウンテンスキー場の天候は冬の寒さです。

ゴンドラに乗り山頂へ

スキーの板による傷でしょうか、窓は傷だらけです。

山頂近くの紅葉は終わり落葉

ゴンドラ山頂駅に登着

リフト降り場の脇を入り日光連山の展望台へ

日光連山展望台への散策路は木道で綺麗に整備されています。

日光連山の展望台が見えてきました。

展望台まで50m歩きやすい木道はここまで。

ここから急な上り坂に

日光連山展望台

日光連山

ゴルフ場

ロープウエイの山頂駅へ戻ります。
ここを真直ぐ行くと尾根伝いに戻れますが、きつい道になるので木道を利用して戻ります。

関東平野の展望台へ行きます。

この木道を進むとゴンドラの山頂駅へと行きますが、関東平野の展望台へ行くので右側の尾根を上っていきます。

木の根などが張り出していて歩きにくい上り坂です。

滑りやすく急で歩きにくい。

下にはゴンドラの山麓駅が見えてきました。
ここから上れる道があると楽なのにと。

関東平野の展望台が見えてきました。

関東平野の展望台です。

関東平野の展望台は明神岳の山頂にあります。

関東平野が見渡せます。

鶏頂山(1,766m)

順路と標示されていますが、何処に出るのか不明なので、きた道を戻ります。

日光連山展望台と関東平野の展望台の分岐に戻ってきました。
ここを尾根伝いに真直ぐに行くと日光連山展望台へと行けますが、険しくキツイ上り坂になるので、右側の木道を歩いて行った方が楽にいけます。

ゴンドラのの山頂駅へ戻ります。

ゴンドラの山頂駅へ戻ってきました。
この山頂に関東平野の展望台があります。
ここから直接上れる道があればいいのにと思いましたが、それらしい道はありませんでした。

ゴンドラ山頂駅

ゴンドラの山頂駅の休憩所にはストーブが設置され室内を温めていました。
数名の人が休憩しながら暖をとっていました。
山頂は風が強く大変に寒く手が悴んできます。
もう、ここは冬です。
休憩しながら手を温めます。

 

ステッキや雨傘が置かれています。

ゴンドラで下山します。

山頂駅を出るとゴンドラが左右へと揺れだしました。
山頂付近は風が非常に強く左右に大きく振られ恐怖を感じます。

昼食をとろうと思いましたが、高いのでやめました。

第3駐車場
右の道路を上がっていくと第8まで駐車場があります。

第1(奥)と第2駐車場

 

 

紅葉が進む中ヤマツツジが花をつける

紅葉の時期だというのにヤマツツジが開花する。

今月の初旬ごろ、毎朝散歩する公園でヤマツツジの花が開いているのが見られました。

時期枯れてなくなると思っていたら、他の樹でも次々花をつけはじめ、今日(28日)時点では公園内の数本のヤマツツジが花をつけています。

中には満開と言ってもいいほどたくさんの花をつけている樹も。

春と勘違いしたか。

 

白鷺神社に祀られる日本一の平和の剣

日本一の平和の剣

平成15年(2003年)、白鷺神社ご鎮座1,220年を記念して「日本一の平和の剣」が奉納されました。

草薙の剣は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が日本の国が一つにまとまり豊かで平和な国になるよう天下泰平の旅をされたときに、伊勢の神宮にて倭姫命(やもとひめのみこと)より与えられ携えていたとされる伝説の剣です。

この「草薙の剣」の大いなる霊力にあやかって、世界の平和、祖国の繁栄、そして私たち一人一人の幸せを願い、御鎮座1,220年を記念し日本一の「平和の剣」が奉製されました。

厄除けや悪いものを断ち切る象徴として、悪しき運命や縁を断ち切り、新たな良縁や運を呼び込むと言われ、特に人生の転機や困難に直面する方々から多くの信仰を受けています。

剣を祀る建物は、白鷺が羽を広げ剣を守っている姿をイメージし、翔舞殿と名づけられました。

⽇本⼀の「平和の剣」に触れることで、災い事(悪運や悪縁)を断ち切り、幸福(開運や良縁)を結ぶご利益があると崇敬されています。

 

大きさ約12mの巨大な剣

翔舞殿の左右を見守る白鷺

化け地蔵の憾満ヶ淵を歩く

 10月7日、日光市にある憾満ヶ淵(かんまんがぶち)に行ってきました。

山内の二社一寺(東照宮、二荒山神社、輪王寺)には良く訪れるのですが、憾満ヶ淵を訪れたことはありませんでした。

今回、初めて訪れました。

憾満ヶ淵は、日光東照宮神橋の上流約1.5㎞程度の大谷川の渓谷沿い、日光植物園の裏側にあります。

大谷川を挟んで対岸にあるので日光植物園から直接来ることはできません。

日光東照宮や神橋を観光した後にも歩いてこれる距離にあり、歩いてくる人も多く見られました。

私が写真を撮りながら散策している時間帯は、外国人の観光客の姿が多く、日本人はあまり見られなかったです。

憾満ヶ淵の大谷川

「化け地蔵」とも言われることに怖さや神秘的なものを感じ、実際に自分の目で見て確認しようと思い。

実際に来てみると怖さは感じず、森の中の静けさ大谷川の流れに癒されました。

むしろ、入口にあった「クマ出没注意」の看板の方に恐怖を感じた。

 

憾満ヶ淵

男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝で、古くから不動明王が現れる霊地といわれます。川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くので、晃海大僧正が真言の最後の句の「カンマン」を取り憾満ヶ淵と名付けたといいます。

晃海大僧正は、この地に慈雲寺や霊庇閣、不動明王の大石像などを建立し、往時は参詣や行楽の人々で賑わいました。元禄2年(1689)、俳聖「松尾芭蕉」も、奥の細道行脚の途中に立ち寄っています。

大谷川の対岸にある巨石の上には、かつて高さ2メートルの不動明王の石像が置かれていましたが、明治35年(1902)9月の洪水で流失してしまいました。その台座ともなっていた巨石には「カンマン」の梵字が彫られていることが今も見ることができます。この文字は日光山修学院学頭で養源院住職であった山順僧正が書いたものです。

「含満」とも書くので「がんまん」と濁って読まれることが多いのですが、命名の由来を考えると「かんまん」と澄んで読む方が正しいのです。

                         輪王寺ホームページより

 


 慈雲寺山門

慈雲寺本堂
晃海が承応3年(1654年)に建立した仏教寺院で輪王寺の1院です。
創建当時の建物は、1902年(明治35年)の洪水で流失し、現在の本堂は1973年に再建されたものです。
お堂では阿弥陀如来と慈眼大使天海を祀っています。
毎年7月14日に輪王寺により盂蘭盆会(うらぼんえ)の法要が営まれます。

山門の手前には、田母沢御用邸付近を散策中に大正天皇が詠んだ短歌「衣手も しぶきにぬれて 大谷川 月夜涼しく 岸づたひせり」を刻んだ御製歌碑がある。

微笑んでいます。
優しい笑顔です。

橋を渡っていきます。

橋を渡った先にあった霊庇閣(れいひかく)。

承応3年(1654)、慈雲寺創建のとき、晃海大僧正が建立した四阿造りの護摩壇で、対岸の不動明王の石像に向かって天下泰平を祈る護摩供養を行った場所です。この高さ2メートル余りの不動明王像は、周辺の他の石像や建物などとともに明治35年(1902)9月の大洪水によって流失してしまいましたが、その台座となっていた対岸の巨石には「カンマン」の梵字が彫られていることが今も見ることができます。現在の「霊屁閣」は昭和46年(1971)に輪王寺よって復元されました。

霊庇閣のところで上にあがる階段があったので、この上に何があるのかと上ってみましたが、狭い道路があるだけで特に何もありませんでした。
車4台ほど停められる駐車場があり1台停まっていました。
ここに車を停めて見て歩いているのでしょうか。
私が下りていくときに5、6人ほどの男性が上がってきました。
この上流にダムがあるのでその関係者!?
憾満ヶ淵入口のところに鳴虫山登山口との表示があり、そこの狭い道を上がってくるとここに出る。
鳴き虫山への登山者はくると思うが、一般の観光客は知らない道と思うのだが。

この中には灯篭らしきものが見えましたが、封鎖されていたので入るのをやめました。

化け地蔵への下り口にはダム放流の注意の掲示板がありました。
ここを下りて戻ります。

上から見た霊庇閣


下に下りてきました。
並び地蔵(化け地蔵)を見て歩きます。
奥まで大小さまざまな地蔵が整然と並んでいます。

慈眼大使天海の弟子約100名が「過古万霊、自己菩提」のために寄進したもので、列座の奥には親地蔵が置かれていました。
明治35年(1902)9月の大洪水で親地蔵と他のいくつかの地蔵が流されてしまいました。参詣者がこの地蔵の数を数えるてみると、そのつど数が違うところから、いつしか「化け地蔵」とも呼ばれるようになったそうです。

お地蔵様を何回数えても数が合わないとの噂に、私も数えてみようと思っていましたが、写真を撮るのに夢中で途中まで数えてわからなくなり、数えるのはやめました。

お地蔵様は、このように壊れたりしているもの、赤い帽子だけ被せてあるもの、小さなもの、見る位置により見えないものなどがあり、数が合わないのはその数え方にあるのかと思われます。

が、その神秘的なイメージは持ち続けたい。



いろいろな表情のお地蔵様

だれか壊れてしまった地蔵に哀れみを感じ賽銭をあげっていたのでしょうか。

台座だけになってしまった地蔵

首が落ちてしまった地蔵

見落としてしまいそうな小さな子供地蔵

周囲の地蔵などと比べると、こんなに小さな赤ちゃんのような地蔵です。


ここで並び地蔵は終わり、この先には何があるのだろうと思い行ってみました。

足元にはこんなものがありました。

あったのは水門でした。

ここから河原に下りて美しい渓谷の写真を撮りました。

紅葉がはじまっています。
ピークにはいろは坂は大混雑しますが、ここ憾満ヶ淵は穴場スポットのようです。

憾満公園

含満の茶屋
この日はお休みでした。

鳴虫山への登山道

憾満公園の駐車場
私が帰るときには満車となっていました(12台)。

駐車場手前の道

駐車場手前の橋

大変に狭く私の車(ヴィッツ)もギリギリです。
対向車が来たら手前の広いところで待機しなければならない。
現在工事中でさらに狭く感じます。
橋の手前で外国人の女性2人が立ち止まって待っています。

向こうから外国人のカップルが歩いてきて進むことができず渡り切るのを待ちました。
このように、憾満ヶ淵に来る道は狭く離合するのが困難な場所があります。

憾満ヶ淵・化け地蔵バス停

憾満ヶ淵には道路が狭く路線バスは入ってこれません。
そのため、憾満ヶ淵へは低速電動モビリティーが運行されています。

グリーンスローモビリティ停留場

グリーンスローモビリティは、低速電動モービルの通称です。
小型で環境にやさしい車両として、観光、生活交通など様々な場面での活用が期待されています。

狭隘な西町地域は路線バスの乗り入れが難しく、世界遺産地域を訪れる観光客の多くは、西参道・西地域を訪れていない現状があり、世界遺産と西地域を結ぶ交通手段の確保が課題となっていました。

令和2年度の実証実験を踏まえ、観光客の満足度の向上、滞在時間の延長に資することを目的として、令和4年4月から、世界遺産エリア~西町エリアの点在する観光資源を結ぶグリーンスローモビリティの運行を開始しました。

日光市と東武バス日光株式会社との協定に基づき、市が車両を無償貸与し、東武バス日光株式会社が運行しています。

運行期間:2026年4月25日(土)~11月19日(木)までの所定日

運  賃:西町ルート1回200円(小学生100円) 小学生未満無料

ルートマップ

時刻表など細部は、下記日光公式ホームページをがおランください

www.city.nikko.lg.jp

 

野州八社八幡詣「神玉巡拝」長沼八幡宮

【野州八社八幡詣とは】

平安時代より続く、大願成就を祈念して神社を参拝する風習です。
神社を巡り参拝することにより願い事が研ぎ澄まされ、進むべき道が開けてゆくと信仰されてきました。

江戸時代には「八所八幡宮参り」、通称八八幡詣(ややはたもうで)が流行し、全行程十五里ほどの都内にある八幡宮を八社巡り、八百万(やおよろず)の御神徳にあやかるようになりました。

野州下野の国(現在の栃木県)の東山道沿いには、「蝦夷」討伐の折に八幡宮が多く勧請され祈願所として、時の権力者による崇敬が篤く、願掛けの逸話も多いことから、令和6年栃木県にあるハヶ所の八幡宮を結び1年の大願をかけて八社を巡る「野州八社八幡詣」が生まれました。

全ての八幡宮の主催神は、「八幡大神」または「誉田別命(ほんだわけのみこと)」「応神天皇」と」呼ばれ、武運長久・万事必勝の武神として崇められてきました。


野州八社八幡詣「神玉巡拝」の第4社目は、真岡市の長沼八幡宮です。

<御由緒>

延暦14(795)年、坂上田村麻呂が東夷征伐に功をなし、その帰途、武運を感謝するため一社を造営し、誉田別尊を奉斎したのが始まりと伝わる。
康平6(1063)年、源頼義が石清水八幡宮を勧請、永保2(1082)年には源頼家が社殿を造営するなど源氏の崇敬厚く、遠征の度に戦勝祈願、寄進がなされた。

元暦年間(1184~5)、小山政光の二男宗政が、当地、長沼庄を拝領して城を構え長沼氏を名乗り、長沼氏の守として鶴岡八幡宮を勧請した。
建久4(1193)年、源頼朝が長沼に宿泊した際、神夢により「加茂社(別雷尊)・春日社(天児屋根尊)の両神を祀れ」の神託を得て両神を勧請、神領五百石が下賜された。

<祭神>

 誉田別尊(ほんだわけのみこと)

<配神>

 天児屋根尊(あめのこやねのみこと)
 別雷尊(わけいかずちのみこと)

 

長沼八幡宮の御朱印

初穂料 500円

神玉巡拝御守り表と裏

初穂料 500円

野州八社八幡詣「神玉巡拝」の半分を参拝しました。

次は真岡市の千代ヶ岡八幡宮を参拝する予定です。

草紅葉と貴婦人のコラボレーション

今年も小田代原の草紅葉が見ごろを迎えました。

その草紅葉の中に凛として佇む貴婦人

貴婦人とは一本のシラカバの木です。

カメラマンの間では有名なシラカバの木で、多くのカメラマンが朝日が射す貴婦人や雪化粧の貴婦人などを撮影に訪れます。

朝早くの朝霧に包まれた貴婦人も素敵ですが、草紅葉に染まった小田代原の湿原に凛として佇む貴婦人も素敵です。

野州八社八幡詣「神玉巡拝」下野市の薬師寺八幡宮

台風26号が関東に最接近した10月1日、栃木県は台風の影響を受けることなく、朝から青空が広がり、久しぶりの絶好の行楽日和となり、天気が回復したら行こと思っていた下野国野州八社八幡詣「神玉巡拝」の3社目、下野市の薬師寺八幡宮へ参拝に行くことにし、カメラをもって出かけました。

【野州八社八幡詣とは】

平安時代より続く、大願成就を祈念して神社を参拝する風習です。
神社を巡り参拝することにより願い事が研ぎ澄まされ、進むべき道が開けてゆくと信仰されてきました。

江戸時代には「八所八幡宮参り」、通称八八幡詣(ややはたもうで)が流行し、全行程十五里ほどの都内にある八幡宮を八社巡り、八百万(やおよろず)の御神徳にあやかるようになりました。

野州下野の国(現在の栃木県)の東山道沿いには、「蝦夷」討伐の折に八幡宮が多く勧請され祈願所として、時の権力者による崇敬が篤く、願掛けの逸話も多いことから、令和6年栃木県にあるハヶ所の八幡宮を結び1年の大願をかけて八社を巡る「野州八社八幡詣」が生まれました。

全ての八幡宮の主催神は、「八幡大神」または「誉田別命(ほんだわけのみこと)」「応神天皇」と」呼ばれ、武運長久・万事必勝の武神として崇められてきました。

 

野州八社八幡詣神玉巡拝の三社目「薬師寺八幡宮」

<御由緒>

人皇56代清和天皇の御勅定により、貞観17年(875)東北守護の大神として京都の石清水八幡宮御分霊を勧請し創建したと伝えられる。

また一方で、日本三戒壇でもある下野国薬師寺の御守神として、天平勝宝元年(749)に九州は守佐新宮より御分霊を勧請し創建したとも伝えられます。

天喜4年(1056)には、源頼義公が安倍一族追討の勅を拝し進軍の途次、当社郷内にて後続軍と合戦となり御社殿等は焼失したと伝えられている。

現在の御社殿は、寛文2年(1662)に領主であった秋田藩3代目藩主佐竹公の援助により造営されたもので、黒を基調とした珍しい神社建築であり、栃木県指定有形文化財であります。

<御祭神>

 誉田別命(ほんだわけのみこと)

 玉依姫命(たまよりひめのみこと)

 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)

 

金精様

八幡宮の奥宮であり、弓削の道鏡も合わせ祀るお宮です。
家内安全・子孫繁栄の御利益があります。

五条天満宮

菅原道真公をお祀りする、学業成就・合格祈願のお社です。

千勝神社

”千勝”を”戦勝”とも読めることから、勝ち運(病魔退散)の祈願のお社です。千羽鶴を捧げて祈願します

神輿殿

平成28年に新調され、昭和45年新造の神輿とそれ以前の神輿が奉安されています。

祖霊社

八幡宮氏子・信徒の祖霊を祀るお社です。信徒の方々の手により、昭和37年建立された祖霊社ですが、八坂神社再建に伴い平成29年に再建されました。

至福神社

大国・恵比寿・毘沙門・弁天の四福神(至福)を祀るお社です。

垂乳根の銀杏

お乳が下がる銀杏で、その昔この前で安産祈願をしたと伝わっています。

御神木の大欅

源頼義公のお手植えと伝わっています(市指定文化財)。

樹高:約20m 周囲:4.8m 推定樹齢:600年

社務所の御朱印受付

薬師寺八幡宮の御朱印

鷲宮神社・お酉様

<御祭神>
天日鷲命(あめのひわしのみこと)

<御由緒>
昔はお鷲山古墳上に鎮座していた古社。
今は、フクロウに願いを込めての幸せ祈願が行われている。

雷電神社

京都賀茂別雷神社より御祭神を勧請し、以後五穀豊穣をはじめ、殖産の守り神として厚く尊崇されてきました。明治100年を記念して、昭和44年に神徒らが集いて鎮守八幡宮に合祀されていた雷電神社を再建しました。

野州八社八幡詣「神玉巡拝」の御朱印帳

神玉御守りの表には神社名、裏側には神社を象徴するマークが描かれています。

薬師寺八幡宮を参拝した後は、車で30分ほどのところにある真岡市の長沼八幡宮へと足を向けました。

次回投稿をしようと思っています。