2022年11月22日、日光二荒山神社中宮祠で御朱印をいただいてまいりました。
朝一番、左膝故障のリハビリを予約していました。
リハビリの後、佐野の「唐澤山神社」・「賀茂分雷神社」へ御朱印をいただきに行くつもりでしたが、リハビリが終わると何か無性に「日光二荒山神社」に気がひかれ、心が日光へと引っ張られました。
そして、反対方向の日光中宮祠へと車を向けました。
皆様も生活する中で、このような不思議な体験をしたことはないでしょうか。
私の場合は、神社・御朱印という信仰や趣味の中での、何とも言えない不思議な感覚でした。
私が御朱印を始めるキッカケをつくってくれた友人も、よく「お呼びがかかった」と言っていました。
単なる趣味の御朱印集めではなく、「お呼びがかかった」というように、そこにはしっかりとした信仰心の下に参拝し、神様に感謝し、記念の特別御朱印などに群がる人ではないです。
私も、ただ単に御朱印集めに神社を訪れるのではなく、このようなしっかりとした信仰心の下に、神社を参拝し神様に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
栃木県内には、下野国一之宮を称する二つの二荒山神社が鎮座します。
一つは日光、もう一つは宇都宮です。
二つは同じ神社に思えますが、読み方と祭神が異なっています。
私も栃木県民となった16年前は同じ神社と思ていました。
ところが、数年前に本屋さんで目に入った書籍を読み、まったく別の神社であることを知りました。
日光は「ふたらさんじんじゃ」と読み、御祭神は二荒山大神(ふたらやまのおおかみ)といい「大己貴命(父:おおなむちのみこと)」、「田心姫命(母:たごりひめのみこと)」、「味耜高彦根命(子:あじすきたかひねのみこと)」の親子三神を祀っています。
宇都宮は「ふたあらやまじんじゃ」と読み、御祭神は「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」、「大物主命(おおものぬしのみこと)」、「事代主命(ことしろぬしのみこと)」の三神です。
日光二荒山神社は、日光に三社鎮座しています。
男体山山頂:奥宮
日光市山内:御本社
古くから、標高2,486mの霊峰二荒山(ふたらさん=男体山)を御神体山として仰ぐ神社で、日光信仰の中心となってきました。
日光二荒山神社は、日光連山を含む3,400㌶にも及ぶ広大な境内を有しています。
山霊宮とは、男体山を中心に日光連山八峰に篤い信仰を捧げた、功績の優れ徳行のあった人々の御霊をお祀りしたお宮です。
奥宮(男体山)への登山口は、11月11日に閉鎖されました。
来年の開山は、4月25日です。
神楽殿前で写真を撮っていると、神社境内の枯れ葉などの掃除をしていた作業員風の男性が声をかけてきて、「天井画がある」と言って中に私を引き入れてくれました。
中に入り天井を見上げると、そこには天井前面に見事な画が描かれていました。
私は何度も訪れていますが、神楽殿に天井画があることを知りませんでした。
中に勝手に入ってはいけないと思っていたので。
そして私は思いました。
これが私を引き寄せたのだと。
明治時代以前までは厳しい掟があり、「馬返」より上には牛馬禁足の結果があり、それを破り牛を引いてきたところ、寝そべった姿の石にされたとの伝説があります。
以前訪れたときはなかったと思うのですが、この日訪れたら牛石の前にタワシが置いてありました。
このタワシで牛石をこすることにより、自らの心を洗い清めるという意味があるそうです。
私も自らの心を洗い清めてきました。
私が二つの二荒山神社について知るきっかけとなった書籍です。
細かなことまで記述していると膨大な記事になってしまうので、私が参考にした参考文献として掲載しました。
日光と宇都宮の二つの「二荒山神社」、どちらが正統の「一之宮」であるのか、研究者の間でも日光側に立つ意見と、宇都宮側に立つ意見でいまだに決着を見ていないそうです(この著書発行時点)。
*一之宮とは
国司が任国に赴任すると、吉日を選んでその国の主要な神社に参拝することになっていた。この際最初に詣でる神社が「一之宮」で、その国の大社がそれに充てられていた。
<2022.11.28 21:50 天井画について追記>
日光二荒山神社神楽殿の天井画は、宇都宮の文星芸術大学の学生らが10年がかりで完成させ、11月11日から一般公開されました。
天井画は、先代の宮司が神楽殿に新たな魅力を作り出そうと2010年に文星芸術大学に依頼、2012年から製作がスタートしました。
製作には、同大総合造形専攻の日本画分野で学ぶ3年生や大学院生を中心に、教員や卒業生の延べ50人ほどがかかわり完成させました。
日本画分野の授業では地域貢献や後世に残る作品づくりの一環として、県内の寺社の天井画などに取り組んでおり、日光二荒山神社中宮祠からも奉納を頼まれたという。
同神社の天井画は、3部構成の正方形の格子状になっていて合わせて120枚あります。