サブやんの気ままなPHOTOライフ

山や川などの大自然、野鳥や昆虫などの動物、花などを撮るのが大好き。そんな被写体を気ままに撮っています。

塩原温泉「天皇の間記念公園」の紅葉を撮る

天皇の間記念公園

2023年11月12日(日曜)、11月9日に続き塩原温泉に紅葉の写真を撮りに行ってきました。

今回は、塩原温泉渓谷の「七ツ岩吊橋」を目指しました。

七ツ岩吊橋の駐車場に車を停めて、周辺案内の看板で周辺の撮影ポイントを確認、「天皇の間記念公園」を含む30分コースに決め七ツ岩吊橋駐車場をスタート、七ツ岩吊橋、ビジターセンターの紅葉を撮りながら天皇の間記念公園へと向かいました。

塩原温泉には何度かきて、天皇の間記念公園の前も通ているのですが、この日まで全くその存在を知りませんでした。

ということで初めてです。

周辺案内MAP
散策コース

入口から中を覗くと、赤、黄、橙色に染まった鮮やかな紅葉(もみじ)に魅了され、吸い込まれるように園内に入っていました。

天皇の間」への入口

ここで靴を脱いで入ります。

天皇の間御座所

天皇の間から見る紅葉

天皇の間記念公園全景

天皇の間記念公園」は、明治、大正、昭和の三代にわたり大正天皇昭和天皇をはじめ多くの皇族の方々が避暑地として訪れ利用された「塩原御用邸を移築保存したものだそうです。

塩原には皇室の別荘として「塩原御用邸」が置かれていました。

皇室と塩原のかかわりは古く明治35年にさかのぼり、時の皇太子殿下(大正天皇)は塩原温泉に避暑のため行啓になられ、翌36年にも行啓になられました。

皇太子殿下は、塩原滞在中その自然、気候、温泉等を大変お好みになられました。
そのため福渡の地に別荘を所有していた那須野が原開拓の祖、栃木県令三島通庸(みしまみちつね)の嫡男三島弥太郎が、その別荘地の献上を宮内省に願い出、明治37年に「塩原御用邸」が構えられました。

戦後御用邸は、香淳皇后より「視力障害者への保護のため使用するよう」との思し召しを賜り、厚生省へ移管され、昭和23年には国立塩原光明寮が開設され、同39年には国立塩原障害センターと改名し、視力障碍者の社会復帰施設とまりました。

旧塩原御用邸の御座所は、塩原の人たちから敬愛を込めて「天皇の間」と呼ばれ、昭和56年に現在の地に移築され、「天皇の間記念公園」として公開されました。

邸内には当時を偲ばせる多くの参考品が展示されていました。

 

入園券

入場料大人200円を支払い入園券を受け取る際、受付の担当者が「アレッ!!」と言って入園券を引っ込めました。

そして「何歳?」と歳を聞いてきました。

「70です」と答えると、「65才以上は半額なんだ」と言って、半額の入園券に替え差出し、払いすぎた100円も戻してくれました。

入園券売り場にいた方は、私よりも年上の感じのお爺ちゃんでしたが、私を見て65歳以上と気づいて確認してくれたのですね。

本人の申告がない限り、そのまま大人料金で支払わされてしまうのが普通ですが、しっかりと確認してくれてすごく良心的だなと感じました。

私は、入園するときに料金を確認したのですが、大人料金しか見ていなかったので、その下にあった65才以上100円の表記を見落としていました。

三笠宮崇仁親王殿下歌碑